久本山・熊野森とは
溝の口駅南側の小高い山は、南武線からも、田園都市線からも車窓に望める多摩丘陵の河岸段緑地として、誰からも親しまれ、都市化する溝の口において残された貴重な自然となっています。
土地の人は、久本山とも、熊野森、通称おくまんさまとも呼びならわし、自然のやすらぎ、かけがえのない斜面緑地として、保全を願っています。
この地には、縄文時代の貝塚や古墳があります。
また、平安時代後期の武将源義家(八幡太郎)が見つけ詞に詠んだ山桜があり、その後「江戸見桜」と称さられました。その他子どもたちがターザンごっこをしたといわれる「ターザンの木」、川崎市の緑地になった「末長熊野森緑地」があります。
この丘陵には、鎌倉時代から明治初期まで熊野社である阿弥陀堂、薬師堂、十王堂などがありました。
絶滅寸前のキンラン、ギンランがあり、コジュケイ、ウグイス、ヒヨドリ、ルイビタキなどの鳥類や狸やアカネズミも生息しています。
高津区役所が発行する「高津の散歩道」には久本山を中心にしたコースが紹介されていますし、高津区区民懇話会が十数年前から調査し、「高津芸術の森」や 「高津ふれあいの森」として残す構想を提言した場所でもあります。私たちの生活を陰で支えてくれる身近な自然は、なにものにも代え難い貴重な空間です。特 に都市の緑地は気温の上昇を和らげ、心安らぐ暮らしのエネルギーとして役立っています。
熊野森緑地の由来
末長の地名は、寛治5年(1091年)、八幡太郎義家が後三年の役の帰途、丘の上に不思議な石を見て武運を祈り、弓矢を納めて、民の末長く栄えんことを願ったいわれからきています。
この辺りには、中世の頃より熊野権現が建っており、明治時代に杉山神社に合祀されましたが、その後も一帯は、人々から熊野森と呼ばれ親しまれてきました。
また、縄文、弥生時代の竪穴住居跡、土器片、古墳時代の埴輪片及び中世の板碑等が出土し、古くから人の営みがあった事がわかりました。
このような熊野森の一部が、川崎市の緑地として残りました。
場所 川崎市高津区末長字富士見台359-1
面積 1965,26㎡
ターザンの木
熊野森(久本山)にあるスダジイの木。横枝が長く伸びていて、ターザンごっこをして遊んだことから、この名がつきました。
この大木はターザンの木としては二代目、一代目はヒイラギでした。
遠くから見ると森のようなこの木は、夏に花が咲きどんぐりが実ります。
高さ130cm箇所の幹周り合計は690cmもあり、川崎市内でも珍しい巨樹。
多くの人が保全を願っています。
江戸見桜
品種はオオシマサクラです。川崎『まちの木50選』の一つになっています。
こ の辺りは標高の高い所で、多摩川を越え「江戸が見える」「江戸からも見える」として地元はもとより、大山詣での人が目印にしたのでこの名が付けられたと言 われています。ここはかって熊野社のあった所。桜は依代の木(御神木)で浄土を現す象徴でした。現在の木は、昭和の初めに大木が枯れその根本からでてきた もの。
2000年4月2日に江戸見桜の会が、「江戸見桜の長寿を囲に「しめ縄」を張りましたが、今はありません。
梅原時保(1801年没)により寿詞が詠まれています。
「末永く影満つ熊野や山桜」
意味は熊野の山桜は、永遠に光に満ちていることだということです。
この碑はかって堂坂にありましたが、現在は杉山神社に移されています。